身体が資本論

身体とお金の話がメイン。元気があれば何でも出来るを地で行きます。

完璧よりも全力で取り組めているかどうか

よりやりたいこと、大事だと思うこと、そして尊敬できる人と接しようとするとき、ためらいや後ろめたさをものすごく感じて、死にたくなるぐらい不安になるときがある。

いままで自分を裏切ったり、嘘をついたりしたことが少しずつ積み重なって、この感情を生み出している。

結果、失礼な態度を取ってしまう、裏切ってしまう、中途半端に投げ出してしまうというような結末を迎え、この周期はだいたい3から5年周期で起こる。

 

そしてやっと分かってきた。すべては「失敗したくない」「いいところを見せたい」「完璧でいたい」という思いから湧いてくるモヤモヤなのかなーと。

完璧じゃなくていいから、全力でそのことに向き合い、全力で取り組み、全力で考えられていれば、全力を出し切れれば、諦められないものは諦められないし、諦めてしまうようであればそれまでのことで諦められる。

 

おれ、冴えてるなーやるじゃん!と思っていたら、ふと同じようなことを3月のライオンで言っていたのを思い出した。あれ、この記憶の追体験なだけだったのかな。

 

「『逃げなかった』という記憶が欲しかったんだと思います。」

逃げなかった、というのは全力を出しきらず、手を抜いて「俺はまだ本気を出していないだけ」「起きられなかったんだからしょうがない」「疲れているんだから寝たほうが良い」と言い訳を作るようなことをしない。

 

逃げるのは簡単だし、一生逃げ続けることは出来るけど、それよりもやり続ける、全力を出しきるっていうのはとても大変。

これだけやったんだから大丈夫、失敗しても運が悪かっただけ、と思えるまで全力で取り組めれば、精神衛生上とても楽になる。やることをやらず、グズグズと先延ばしにしながら言い訳ばかり並べて過ごすよりよっぽど良いしそっちの方が疲れる。

 

自己欺瞞というモヤモヤを頭に抱えないために、そして逃げなかったという自信を持つために、完璧よりも全力を出しきることを目標に、日々を暮らしていく。

仕事が楽しくないあなたは、興奮した瞬間を大事にできているか

ここ何ヶ月か、仕事に面白さを見出せなかった。ルーティンをただこなしているだけ。

ちいさな雑用をどんどんこなし、うまく回しているような錯覚を覚えたが、実際はただ疲弊していた。

同僚の話や業務にも興味が持てず、飲みに行くこともなくなった。

 

そんななかで、担当している領域の新規案件の打ち合わせがあった。相手はバリバリの商社マンと、外国人CEOを始めとした会社の幹部たち。

もちろん全ての会話は英語で行われる。自分たち側も、自分以外は役員のみ。わたしが一番の下っ端だった。

わたしの役割は話している内容に関するデータを探したり、自分の担当している制作寄りの話についての回答だった。

自分だけ語学力が著しく低く、ほかのメンバーは滞りなく商談を進めている。辛うじて今進行しているトピックがどんな感じかは分かったので、必死に分かっている感じで調子を合わせた。

ただただ、厳しかった。チャンスが舞いこんでいたにも関わらず、活かしきれなかった。

 

でも、同時にものすごく興奮した。いつもの退屈な仕事をやっていたから、そしてTOEICで社内では比較的高いスコア(といってもビジネスで使えるレベルとは到底言い難い)を取っていたから呼ばれただけなのは分かっているが、自分がこの案件に関わらせていただけると考えると、ワクワクが止まらない。

 

そんなことを経験したあと、AmazonのPrime Readingで「マンガ版仕事は楽しいかね?」を読んだ。

ざっくり一言でまとめると、「退屈な仕事でも、考え方を変えれば楽しくやれるっしょ」という話。

改善策が浮かんだらどんどん試す、昨日の自分と比べて成長しているか、失敗や偶然から生まれるものを活用する、すぐに始める、現実を直視する。

 

いま自分ができることは、担当している案件を滞りなくベストなかたちでこなしつつ、新しい価値を生み出し続けること。

いまの案件をルーティンで回せることはもう期待されていない。それ以上のことを求められている。これでもし、自分の働きの対価に見合わない報酬が提示され、それを飲み込めなければ転職すればいいだけだし、今の案件をこなすことができれば働き口ぐらい容易に見つかることだろう。

 

退屈な案件でも遊べるところは残っているし、英語やプロジェクト管理、デザインやプログラミングなど興味のある分野に積極的に関わっていくことで価値を生み出せば、どんどん楽しさや興奮は生まれてくる。

 

その行動は消費か生産か

何をやるにしても、時間を含め何かしらを消費している事は変わりないんだけど、その行動の後に何が残るかを考えて動いた方が良い。

例えば買い物1つとっても、ただコンビニでお菓子を買うのではなくて、あるテーマを決めそれに合ったお菓子を吟味し、味やコストパフォーマンスを比べてTwitterやブログにまとめを上げるところまで考えるかどうかでそのお菓子を買うという公園によって生まれるものが違う。

前者はただおいしいお菓子を食べて、お腹が満たされたという満足感だけが一時的に得られるが、後者は自分がどうやってそのお菓子を選び、実際に食べどんな感想を持ったのかが記録として残る。形に残るかどうかはとても重要な違いだ。

プログラミングに関する記事を読んだとしても、ただ記事をどんどん読んで消費していくだけよりも、実際にコードを書いてみて動かしたほうが何倍も身に付くのは明白だ。

そして、自分の思う生産は、消費よりも消費が少ない。何を言っているかわからないが、これは自分の納得できる消費レベルがどんどん上がってきてしまい、満足するまでに数万円使うことをがザラになってきてしまっていることに起因する。

それに対し、自分の生産に対する能力は、まだ数万円を使うほどのレベルに達していないため、時間をかける必要はあるにせよ、ただ消費していくよりも圧倒的にかかる費用は少ない。

さらに、生産はうまくいけば富を生み出すことだってできる。

消費と生産のバランスを取る事はもちろん大事だけれども、気をつけないと消費ばかりになってしまうので、生産のほうに比重を置いたほうがうまくいきやすいと思う。

きちんと消費し、それをコンテンツにすることで生産も兼ねるのが一番賢いやり方だろう。

時間を捻出する

もっと成長したい。自分の思う成長は、出来ることと視点が増えること。

そのために、時間の使い方を変えたい。

自由に使える時間と選択肢を増やすことと、作った時間で実際にやることをより本当にやりたいことが出来るようにしたい。

使える時間を認識する

毎日忙しく過ごしている気がするんだけど、その一方で多くの死んでいる時間があるように感じている。

死んでる時間

  • 二度寝中(約2時間)
  • だらだら仕事中(3時間くらい)
  • 残業(2時間くらい)
  • 通勤時間(往復2時間)

平日は8時間仕事しなければならないけど、実質ちゃんと成果が出せているのは5時間。残りの10時間は休息に充てるとして、成長に使えるのは控えめに数えて9時間ほど。

特にだらだら仕事中と残業時間の5時間が大きい。

n時間空いてたらxする

5分

  • 英単語覚える(アプリやリスニング)
  • スクワット
  • DEV.TOで記事ひとつ読む
  • 仕訳

30分

1時間以上

  • 記事を1本投稿までやる
  • ジム行く
  • 風呂屋行く
  • 映画見る

そんなにないのでもう少し具体的なものを増やす。

やらないことを決める

めっちゃやりたいけど、死んでる時間だなということ。

これらはやってもいいけど、きちんと時間を決めてコンテンツ消化する。

アプリを消すのが1番いいんだろうけど、それはさすがに無理。

時間をちゃんと区切ってそこに合うアクションをはめていく。これを実現するためには、きちんと自分の次の行動や予定が把握できていないと無理だ。 

 

 

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自分自身のマーケティング

LINEの田端さんがスタートトゥデイのコミュニーケーション室長に就任した。

その文脈でのツイートが興味深かったので。

 自分がどう見えるかを考えるのがマーケティングだとすると、嘘をつくのは論外だとして、自分がやったこと、好きなことについて他者がどう受け止めるか、広めていくかを考えられている人が、ネット時代に上手く世渡りしていると感じる。

なるべく自分の色を消したいという願望はあるけど、そのなかでどうしても出てくる色を少しずつ拾って、もう少し分かりやすい色に置き換えつつ誘い受けしていくような動きを作りたい。

自分が望む環境に持っていけるような流れを引き寄せるのが自分自身のマーケティングだろう。

フロントエンドエンジニアにはなってないけど、それっぽい業務をしている

約3年前、こんな記事を書いた。

 

lemarc.hatenablog.com

 まだこの会社で働いているのだけど、いろいろあって今はフロントエンドを触る仕事をしている。

この記事を書いてからは考え方が少し変わって、上にいける職種はどれか色々考え、ある部署への異動を希望していた。

その思いが伝わったのか、運良くその部署で活躍している人の下でアシスタント業務が出来るようにしてもらえた。

しかし、それも長くは続かなくて焦っていたのだけど、ほんの気まぐれでフロントエンドに近い部署に配属されることになった。

そこから約2年。この記事で書かれている技術はさして向上してないけどフロントエンドをいじれるようになっている。

具体的なことがなにひとつ書けてないけど、言いたいこととしては「ぼんやりとでも、やりたいことを頭に描いていればそれなりに近づける」ということ。

もうそんなに若くはないけど、それなりにやりたいことはあるし、どうやればそこに近づけるかも分かってきているつもりだ。

がんばろう。

効率化云々の前にやることをやる

最近はルンバ、食洗機、全自動洗濯乾燥機など、日々の暮らしを楽にするアイテムがたくさん出てきている。

これに加えて、Amazon EchoGoogle HomeなどのスマートスピーカーにNature Remoや黒豆などスマートリモコンをつなげ、音声を使って赤外線リモコンで操作出来るデバイスを制御したり、コンセントやドアのロックも遠隔で操作出来るような仕組み(いわゆるIoT)が出てきたりと進歩が凄まじい。

ガジェットが好きなわたしにとって、それぞれをどんどん試していきたい気持ちはあるけど、そこまで食指が動くかと聞かれるとそうでもない。

どんどん効率化していくのはいいのだけど、順番が逆な気がするからだ。

普通、仕事やプライベートが忙しくて家事が上手に回らない→少々お高いけど、ルンバや食洗機を使って家事に割く時間を少なくして負担を減らそうという流れなんだけど、別に仕事やプライベートが忙しいわけではないので家事を効率化したところで余計な時間が増えてしまうだけなのだ。

時間が足りないと焦っている人には申し訳ない悩みだが、今のゆったりとした時間の流れに不満はないし、もうしばらくこのままの環境で過ごすのもありかもしれないと思っている。

……あれ?こんな結論になるとは思わなかった。

本当は、効率化するほど時間に追われているわけではないから、まずは時間に追われるくらいにはやらなければいけないことをやっていかなければという流れに持っていきたかった。

時間が余っていることなんてなくて、やらなければならないことを後回しにしているだけ。

確定申告をしなければならないし、筋トレしていい体になりたいし、車が欲しくていい家に住みたいからお金を稼がなければならないし、そのためにいい仕事をしないといけないから勉強しないといけない。英語も話せるようになりたいし、自分がかっこいい、良いと思える服やガジェット、アイテムを惜しげもなく買いたい。

ざっと思い浮かべただけでも一日じゃ終わらない数のやらなければいけないことが出てくるのに、時間が余っていてどうしようもないなんてことを考えているのは愚の骨頂だ。もうわけが分からない。

やることがないと思っているのはやらなければいけないことをほんとうにやらなければならないと思っていないか、やりたいとは思っているけどどこから手を出していいかわからないときだ。

だから、まずはやらなければならないことをひとつずつ整理してやっていく。その過程で時間が足りないから仕組みやモノで解決できることがあれば試していくというのが効率化のフェーズ。まだそこまでいけていないのに、効率化について必死に考えているのはどうみても効率的じゃない。

まずはやらなければいけないことを書き出せ。やらなきゃいけないこと、山ほどあるだろ?