身体が資本論

身体とお金の話がメイン。元気があれば何でも出来るを地で行きます。

やりたいことをやるため&&気分良く過ごすために出来ること


最近、何もかもがマンネリだ。
大前研一の云う、決意ではなく時間配分・住む場所・付き合う人を変える必要がある。
住む場所と付き合う人は後々に変えるとして、時間配分から手を付ける。
時間配分を変えるには、結局心がけを変えなければいけないのであれば、結局のところ決意が必要になる。

## 姿勢を正す
放っておくとすぐに猫背になってしまうぐらい私は姿勢が悪い。
このままでは座って作業するたびに辛くなる→作業が進まない→長時間座らなければならない負の連鎖に陥ってしまう。
姿勢を正すには気をつけるべき点がいくつかあり、骨盤を立てて、顎を引いて頭を背骨に乗せるようにするのが良いらしい。
しかし、私のようにズボラな人間は、何事もすぐに忘れてしまう。
そこで考えたのが、**お尻を背もたれにくっつける**ことだけを意識すること。
座面の一番うしろまでお尻をぐいっと入れることで骨盤が立ちやすくなり、背骨を伸ばして頭を支えやすくなる。先に挙げたポイントを、ひとつの意識だけで抑えられるのだ。
そして、猫背になりやすいもう一つの原因であるキーボードだが、デュアルキーボード体制にすることで肩をすぼめずにタイピング出来るようにした。
持て余しているHHKBを左に、Majestouchを右側に置くことでテンキーを使おうと思えば使えるようにした。
バックティック文字(`) がタイプしづらいのだけがネックだが、概ね快適に入力出来ている。

# やめることを決める
一日中ぼーっとしているようで、本当に何もしていないのであれば布団から出てすらいないのだから、 何も出来ていないと思っていても、何かしらのことはしている。何もしていないのではなく、身になることを出来ていないだけだ。

私の場合、手持ち無沙汰でぼーっとしているように感じ、身になっていない行動は、
- RSSリーダの巡回
- はてなブックマークの巡回
- Youtubeの巡回
- 会社のSlackの巡回
で、全てが必要ではない情報を延々と消費している。これを減らすか無くすかして、本当にすべきことへ時間を充てる。
iPhoneからはアプリを消し、娯楽としての情報消費はiPad/Macでのみ行う。

 

追記(2019/03/24日)

↑無理でした。はてブとReederアプリ復活。2ヶ月くらい続いた。

そんなに可処分時間が増えた感じはしなかった。その分Youtube見ていた?

英語を耳だけで理解できるようになりたい

英語に触れたのは、小学校の4年生に小学館の「ホームパル」という英会話スクール?に入ったのが最初で、大学卒業までやったのだから都合14年、それからもだらだらと触れていたので合計20年近くになる。

20年もやっているが、英語で読み書きできるかというと微妙で、要所要所で頑張ってこなかったのはもちろんのこと、失敗を過度に恐れるあまり、ガチで英語をやらなければいけないチャレンジングな場面でことごとく逃げてきた。

学校での学習はそんなに伸びず、予備校でも遊んでばかりだったので身につくことは無かったが、ひとつだけ英語力が抜群に伸びた実感を持てたのは「DUO2.0」だった。

550ほどの例文を覚えればいいよ!という英単語帳で、一つ一つの例文に重要単語がいくつも織り込まれており、ネイティブが話す速度で読まれるCDを併用してひたすらシャドーイングした。

いまふと浮かぶ英語表現は、ほとんどDUOでなんとなく覚えたものだ。

DUOほどの効果はなかったかもしれないが、「英語リーディング教本」も良かった。文の構成をFoR(Frame of Reference) として50個暗記し、文の主語や術語、はたらきを逐一間違えずに答えていくことで、構造を頭に染み込ませる。

この2つが、自分の英語力の基礎になっている。

今後、英語をやるにあたってひとつ目標にしたいのが、「Podcast」をスクリプトなしで理解すること。要は目を使わず、耳だけで理解して楽しみたいのだ。

もともとラジオは好きで、大学は車で通っていたこともあって結構聴いていたのもあって、英語のラジオやPodcastが聴けたら人生の楽しみが5割り増しになるのではないかと期待している。

もっとも、聞けるようになるまでかなりの時間を費やすのかもしれないけど、その後のリターンが凄まじいので喜んで時間をつぎ込む。

今年の抱負

あっという間に一年が経った。本当にあっという間だ。 去年の1月に祖父と箱根に行ってから、体感では3週間ほどしか経っていない。 それだけ去年も一昨年と同じことのルーティンを回して過ごしたのだろう。

なにも成長がないとは言わないが、完全に今の生活がマンネリになっている。

抱負を決めて、気持ちよく始められるのは今日しかない。 決めた。毎日ジムに行く。何でもいいから、1分でも良いから、ジムに行く。

自分の家にいる時間を短くする。

毎日寝る3時間前にはシャワーを浴びる。

ほかになにか浮かんだら追記していく。

お台場の花火大会で社会の縮図を見た

f:id:lemarc:20180812231357j:plain 8/11(土)に行われた 、[有料イベント]プログラミングによるミュージック花火 東京花火大祭2018|Tokyo Fireworks Festival 2018 を見にお台場へ。

17時過ぎに家を出発し、東京テレポート駅へ。18時ぐらいに着いたのだけど、例によって人、人、人。

事前にツイッターで情報を集めていたら「コンビニに入るのに15分かかる」というツイートを見た。これは実際にその通りで、アクアシティお台場に入っているローソンは中のフードコートに面しているのに、施設の外まで行列ができていた。

どうにか飲み物を買って、見に行こうと人の流れに沿って歩く。 お台場海浜公園が会場で、近くのお台場デックス東京ビーチというショッピングモールでも有料の席が用意されている。 まあそこそこ近くまで行って、多少の障害物があっても良いからゆったり見られる近くの広場みたいな場所があればいいなと思っていたら、会場の警備員が「チケットをお持ちでない方は、潮騒公園に向かってください」とひたすら繰り返していた。

そっちに行けば屋台がそこそこあって、有料チケットを持っていなくても大丈夫かなーとふらふら歩き始めたのだが、これがまずかった。潮騒公園では花火がほとんど見えないし屋台も何も無い。

公式サイトのタイトルにあった通り、「有料イベント」なのは把握していたが、これほどまで無課金ユーザに冷たいとは。

子供のころに見た花火大会は、無料で(=席を取らずに)行ってもそれなりに見られて、決して衛生的とは言えないけどなんだか美味しそうな屋台の食べ物を二つ三つ買って食べながら楽しめて、快適に観たい人は有料席を買ってのびのびと見るみたいな、いわばフリーミアムなイベントという認識だった。

有料イベントと事前に告知されているとはいえ、そういった感覚のままホイホイとお台場花火大会に来てしまった方はかなりの数いたのではないか。

いつもの格好でノコノコやってきたのならまだ良いが、きちんと浴衣を着てヘアメイクしてきたのに、「有料席取らなくてもいけるっしょー最悪ちょっと観づらくても屋台とかお祭りっていう雰囲気を味わえれば良いしー」というノリで行くと、屋台もなく人しかいない花火も見えない席がないという糞ゲーを味わう。これが初デートだったらケンカどころの騒ぎじゃない。

次は屋形船か有料チケットを素直に買います。

バトルロワイヤルアプリの高揚感は異常

最近「荒野行動」というアプリにハマって、ここ2週間結構な時間を割いてプレイしていた。

100人で戦って、一番最後まで生き残れた人が勝利、という単純明快なルールで、課金しても見た目が変えられるだけ、最初はみんな裸一貫の状態でフィールドにスポーンされる。

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完璧よりも全力で取り組めているかどうか

よりやりたいこと、大事だと思うこと、そして尊敬できる人と接しようとするとき、ためらいや後ろめたさをものすごく感じて、死にたくなるぐらい不安になるときがある。

いままで自分を裏切ったり、嘘をついたりしたことが少しずつ積み重なって、この感情を生み出している。

結果、失礼な態度を取ってしまう、裏切ってしまう、中途半端に投げ出してしまうというような結末を迎え、この周期はだいたい3から5年周期で起こる。

 

そしてやっと分かってきた。すべては「失敗したくない」「いいところを見せたい」「完璧でいたい」という思いから湧いてくるモヤモヤなのかなーと。

完璧じゃなくていいから、全力でそのことに向き合い、全力で取り組み、全力で考えられていれば、全力を出し切れれば、諦められないものは諦められないし、諦めてしまうようであればそれまでのことで諦められる。

 

おれ、冴えてるなーやるじゃん!と思っていたら、ふと同じようなことを3月のライオンで言っていたのを思い出した。あれ、この記憶の追体験なだけだったのかな。

 

「『逃げなかった』という記憶が欲しかったんだと思います。」

逃げなかった、というのは全力を出しきらず、手を抜いて「俺はまだ本気を出していないだけ」「起きられなかったんだからしょうがない」「疲れているんだから寝たほうが良い」と言い訳を作るようなことをしない。

 

逃げるのは簡単だし、一生逃げ続けることは出来るけど、それよりもやり続ける、全力を出しきるっていうのはとても大変。

これだけやったんだから大丈夫、失敗しても運が悪かっただけ、と思えるまで全力で取り組めれば、精神衛生上とても楽になる。やることをやらず、グズグズと先延ばしにしながら言い訳ばかり並べて過ごすよりよっぽど良いしそっちの方が疲れる。

 

自己欺瞞というモヤモヤを頭に抱えないために、そして逃げなかったという自信を持つために、完璧よりも全力を出しきることを目標に、日々を暮らしていく。

仕事が楽しくないあなたは、興奮した瞬間を大事にできているか

ここ何ヶ月か、仕事に面白さを見出せなかった。ルーティンをただこなしているだけ。

ちいさな雑用をどんどんこなし、うまく回しているような錯覚を覚えたが、実際はただ疲弊していた。

同僚の話や業務にも興味が持てず、飲みに行くこともなくなった。

 

そんななかで、担当している領域の新規案件の打ち合わせがあった。相手はバリバリの商社マンと、外国人CEOを始めとした会社の幹部たち。

もちろん全ての会話は英語で行われる。自分たち側も、自分以外は役員のみ。わたしが一番の下っ端だった。

わたしの役割は話している内容に関するデータを探したり、自分の担当している制作寄りの話についての回答だった。

自分だけ語学力が著しく低く、ほかのメンバーは滞りなく商談を進めている。辛うじて今進行しているトピックがどんな感じかは分かったので、必死に分かっている感じで調子を合わせた。

ただただ、厳しかった。チャンスが舞いこんでいたにも関わらず、活かしきれなかった。

 

でも、同時にものすごく興奮した。いつもの退屈な仕事をやっていたから、そしてTOEICで社内では比較的高いスコア(といってもビジネスで使えるレベルとは到底言い難い)を取っていたから呼ばれただけなのは分かっているが、自分がこの案件に関わらせていただけると考えると、ワクワクが止まらない。

 

そんなことを経験したあと、AmazonのPrime Readingで「マンガ版仕事は楽しいかね?」を読んだ。

ざっくり一言でまとめると、「退屈な仕事でも、考え方を変えれば楽しくやれるっしょ」という話。

改善策が浮かんだらどんどん試す、昨日の自分と比べて成長しているか、失敗や偶然から生まれるものを活用する、すぐに始める、現実を直視する。

 

いま自分ができることは、担当している案件を滞りなくベストなかたちでこなしつつ、新しい価値を生み出し続けること。

いまの案件をルーティンで回せることはもう期待されていない。それ以上のことを求められている。これでもし、自分の働きの対価に見合わない報酬が提示され、それを飲み込めなければ転職すればいいだけだし、今の案件をこなすことができれば働き口ぐらい容易に見つかることだろう。

 

退屈な案件でも遊べるところは残っているし、英語やプロジェクト管理、デザインやプログラミングなど興味のある分野に積極的に関わっていくことで価値を生み出せば、どんどん楽しさや興奮は生まれてくる。