身体が資本論

身体とお金の話がメイン。元気があれば何でも出来るを地で行きます。

言い訳しない、心の声を聞いて静かに動く

何か趣味が欲しい、という声を聞く。

「じゃあ○○なんてどう?」「でも△△だし…」「じゃあ××は?」「うーん、□□だからなあ…」

と、なかなか前に進まない。

 

単に私が出している趣味のアイデアがマッチしていないのでは、というのは置いておいて、この手の話は何も始まらないまま終わってしまうことが多い。

何かと理由をつけてやりたいことをやらないまま大人になって何十年も経つと、やりたいという単純な欲求だけでは動けず、もっともな理由が無いと動けなくなっているようだ。

「Aさんは若いころから写真が好きで、今でも一眼レフを持ち歩いている」「子供のころにピアノを習っていたから、別の音楽的なことにとっつきやすい」確かにそう、ごもっともなんだけど、その人たちだって何かを始めて諦めるなんて過程を何回も経ているのを見たくない。

ただ、自分が何も続けられなかった、情熱的な何か湧き上がるものがなかったからと負い目を感じながら、ただ消費するだけの生活をおくっている。

贅沢しなければ十分暮らしていけるお金はあるし、老い先短いけれど時間はたっぷりある。だけど体力が続かない…

そう、そうなんだけど、何でも良いから始めないと、それが本当に自分に合っているかどうかも分からないんだよ。ただパッケージを消費し、数カ月後にはほとんど憶えていないような中身のない旅行を繰り返しても虚しいだけ。

 

趣味を作れば幸せに暮らせると思っているようだけど、今のままじゃ新しい趣味を見つけたところで何も変わらないだろう。どうせその趣味だってただパッケージされたものを消費するだけの趣味だろうし、その情熱は数ヶ月で燃え尽きる。

 

まずは言い訳をやめて自分と向き合い、心の底から聞こえてくる声に耳を傾けよう。趣味を見つけるより、日々の暮らしが明るくなるよ。きっと。