身体が資本論

身体とお金の話がメイン。元気があれば何でも出来るを地で行きます。

文章がうまくなって、楽しく仕事したい

書くよりも話すほうが得意な自分にとって、下手な文章が目の前で具現化されていくのを見るのは苦痛だ。
読みにくい、いびつな構成の文章がPCをのモニタに表示されていく。

話している分にはきにならない粗も見えやすく、ほころびを見つけやすくなる。話を聞くのに心地よいリズムと、文章を読んでいるときに小気味よいリズムは少し違う気がする。

 

書こうとしている文が、ただ有益な情報を、それを求めている人に向けて伝えたいという観点を見て、それを提供してあげられるという最低限の水準を保った文章はなんとか書けるかもしれないけど、それをよりわかりやすく、そして楽しく、引き込まれるように読ませるにはとても及ばない。

これって、自分の頭の中の整理が出来ていないからなのか、それとも話すことすら実は下手なんじゃないかとも思ってしまう。


仮に話すのに自信があるなら、いっそ話しかけるように書いてみようか。これだったら、自分がいつもしているように打ち込むだけで、それを文字起こしした文が出来上がる。むかしの参考書にあった「実況中継」シリーズのように。

書いては消し、書いては消し、という作業の連続なのが、話すよりも書くことが辛い原因なのかもしれない。
話すのは、いったん口から出してしまえば、決して消せないがゆえにそのままにできる。軌道修正をして、うまく話をつなぐことも。議論のなかで論点をすり替えたり、先ほどと違った意見を述べられる。

文章は違う。書いても書いても、簡単に取り消し、書き直し、どんどん洗練させていけるがゆえに、きちんと形として残ってしまうので、粗さがそのままむき出しになって見えてしまう。
話のトーン、声の大きさ、早さで面白さをカバーしてきたものが、文章では使えない。いや、少なくとも文章でそういう抑揚をつけるようなことを今まで試してこなかった。

話の上手い芸人さんを真似して喋ることを練習したように、上手い文章や好きだと思う文章を読んで、分解して真似して、小気味よくフロー状態で読める文章を書いていきたい。