その行動は消費か生産か
何をやるにしても、時間を含め何かしらを消費している事は変わりないんだけど、その行動の後に何が残るかを考えて動いた方が良い。
例えば買い物1つとっても、ただコンビニでお菓子を買うのではなくて、あるテーマを決めそれに合ったお菓子を吟味し、味やコストパフォーマンスを比べてTwitterやブログにまとめを上げるところまで考えるかどうかでそのお菓子を買うという公園によって生まれるものが違う。
前者はただおいしいお菓子を食べて、お腹が満たされたという満足感だけが一時的に得られるが、後者は自分がどうやってそのお菓子を選び、実際に食べどんな感想を持ったのかが記録として残る。形に残るかどうかはとても重要な違いだ。
プログラミングに関する記事を読んだとしても、ただ記事をどんどん読んで消費していくだけよりも、実際にコードを書いてみて動かしたほうが何倍も身に付くのは明白だ。
そして、自分の思う生産は、消費よりも消費が少ない。何を言っているかわからないが、これは自分の納得できる消費レベルがどんどん上がってきてしまい、満足するまでに数万円使うことをがザラになってきてしまっていることに起因する。
それに対し、自分の生産に対する能力は、まだ数万円を使うほどのレベルに達していないため、時間をかける必要はあるにせよ、ただ消費していくよりも圧倒的にかかる費用は少ない。
さらに、生産はうまくいけば富を生み出すことだってできる。
消費と生産のバランスを取る事はもちろん大事だけれども、気をつけないと消費ばかりになってしまうので、生産のほうに比重を置いたほうがうまくいきやすいと思う。
きちんと消費し、それをコンテンツにすることで生産も兼ねるのが一番賢いやり方だろう。
時間を捻出する
もっと成長したい。自分の思う成長は、出来ることと視点が増えること。
そのために、時間の使い方を変えたい。
自由に使える時間と選択肢を増やすことと、作った時間で実際にやることをより本当にやりたいことが出来るようにしたい。
使える時間を認識する
毎日忙しく過ごしている気がするんだけど、その一方で多くの死んでいる時間があるように感じている。
死んでる時間
- 二度寝中(約2時間)
- だらだら仕事中(3時間くらい)
- 残業(2時間くらい)
- 通勤時間(往復2時間)
平日は8時間仕事しなければならないけど、実質ちゃんと成果が出せているのは5時間。残りの10時間は休息に充てるとして、成長に使えるのは控えめに数えて9時間ほど。
特にだらだら仕事中と残業時間の5時間が大きい。
n時間空いてたらxする
5分
- 英単語覚える(アプリやリスニング)
- スクワット
- DEV.TOで記事ひとつ読む
- 仕訳
30分
- 本を1章読む
- 記事の下書きをを1本書く📝
- ポッドキャスト聴く
1時間以上
- 記事を1本投稿までやる
- ジム行く
- 風呂屋行く
- 映画見る
そんなにないのでもう少し具体的なものを増やす。
やらないことを決める
めっちゃやりたいけど、死んでる時間だなということ。
これらはやってもいいけど、きちんと時間を決めてコンテンツ消化する。
アプリを消すのが1番いいんだろうけど、それはさすがに無理。
時間をちゃんと区切ってそこに合うアクションをはめていく。これを実現するためには、きちんと自分の次の行動や予定が把握できていないと無理だ。
自分自身のマーケティング
LINEの田端さんがスタートトゥデイのコミュニーケーション室長に就任した。
その文脈でのツイートが興味深かったので。
自分自身のマーケティングやブランディングが出来なくて、会社や製品のマーケティングやブランディングが出来るはずがないでしょ。 https://t.co/fxxbGoED28
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2018年3月1日
自分がどう見えるかを考えるのがマーケティングだとすると、嘘をつくのは論外だとして、自分がやったこと、好きなことについて他者がどう受け止めるか、広めていくかを考えられている人が、ネット時代に上手く世渡りしていると感じる。
なるべく自分の色を消したいという願望はあるけど、そのなかでどうしても出てくる色を少しずつ拾って、もう少し分かりやすい色に置き換えつつ誘い受けしていくような動きを作りたい。
自分が望む環境に持っていけるような流れを引き寄せるのが自分自身のマーケティングだろう。
フロントエンドエンジニアにはなってないけど、それっぽい業務をしている
約3年前、こんな記事を書いた。
まだこの会社で働いているのだけど、いろいろあって今はフロントエンドを触る仕事をしている。
この記事を書いてからは考え方が少し変わって、上にいける職種はどれか色々考え、ある部署への異動を希望していた。
その思いが伝わったのか、運良くその部署で活躍している人の下でアシスタント業務が出来るようにしてもらえた。
しかし、それも長くは続かなくて焦っていたのだけど、ほんの気まぐれでフロントエンドに近い部署に配属されることになった。
そこから約2年。この記事で書かれている技術はさして向上してないけどフロントエンドをいじれるようになっている。
具体的なことがなにひとつ書けてないけど、言いたいこととしては「ぼんやりとでも、やりたいことを頭に描いていればそれなりに近づける」ということ。
もうそんなに若くはないけど、それなりにやりたいことはあるし、どうやればそこに近づけるかも分かってきているつもりだ。
がんばろう。
効率化云々の前にやることをやる
最近はルンバ、食洗機、全自動洗濯乾燥機など、日々の暮らしを楽にするアイテムがたくさん出てきている。
これに加えて、Amazon EchoやGoogle HomeなどのスマートスピーカーにNature Remoや黒豆などスマートリモコンをつなげ、音声を使って赤外線リモコンで操作出来るデバイスを制御したり、コンセントやドアのロックも遠隔で操作出来るような仕組み(いわゆるIoT)が出てきたりと進歩が凄まじい。
ガジェットが好きなわたしにとって、それぞれをどんどん試していきたい気持ちはあるけど、そこまで食指が動くかと聞かれるとそうでもない。
どんどん効率化していくのはいいのだけど、順番が逆な気がするからだ。
普通、仕事やプライベートが忙しくて家事が上手に回らない→少々お高いけど、ルンバや食洗機を使って家事に割く時間を少なくして負担を減らそうという流れなんだけど、別に仕事やプライベートが忙しいわけではないので家事を効率化したところで余計な時間が増えてしまうだけなのだ。
時間が足りないと焦っている人には申し訳ない悩みだが、今のゆったりとした時間の流れに不満はないし、もうしばらくこのままの環境で過ごすのもありかもしれないと思っている。
……あれ?こんな結論になるとは思わなかった。
本当は、効率化するほど時間に追われているわけではないから、まずは時間に追われるくらいにはやらなければいけないことをやっていかなければという流れに持っていきたかった。
時間が余っていることなんてなくて、やらなければならないことを後回しにしているだけ。
確定申告をしなければならないし、筋トレしていい体になりたいし、車が欲しくていい家に住みたいからお金を稼がなければならないし、そのためにいい仕事をしないといけないから勉強しないといけない。英語も話せるようになりたいし、自分がかっこいい、良いと思える服やガジェット、アイテムを惜しげもなく買いたい。
ざっと思い浮かべただけでも一日じゃ終わらない数のやらなければいけないことが出てくるのに、時間が余っていてどうしようもないなんてことを考えているのは愚の骨頂だ。もうわけが分からない。
やることがないと思っているのはやらなければいけないことをほんとうにやらなければならないと思っていないか、やりたいとは思っているけどどこから手を出していいかわからないときだ。
だから、まずはやらなければならないことをひとつずつ整理してやっていく。その過程で時間が足りないから仕組みやモノで解決できることがあれば試していくというのが効率化のフェーズ。まだそこまでいけていないのに、効率化について必死に考えているのはどうみても効率的じゃない。
まずはやらなければいけないことを書き出せ。やらなきゃいけないこと、山ほどあるだろ?
明日の自分に託すために
無限に起き続けられたら、朝から走って筋トレしたいのに起きられないという負の連鎖から逃れられると思っている。
朝起きること、起きたらやって欲しいことを前の日のうちにお膳立てしておくのが難しく、せめて朝のToDoリストを起きたらすぐに確認できればいいのに。
いまはTodoistとプライベートのGoogleカレンダーを同期して、そのカレンダーを仕事用のアカウントに共有し、仕事用のアカウントをAlexaと連携している。こうすると、仕事とプライベートの予定をAlexaが読んでくれるのだ。
でもやっぱり起きる→予定を読み上げてもらって把握する→行動するという流れを作るのが難しい。ギリギリまで寝てしまう。
ギリギリまで寝てしまうタイプは、学校や仕事の始業時間ギリギリの時間を頭の中に持っていて、間に合う限界の時間まで寝ようとする。
引っ越して家から職場が近くなったら、その分だけ寝る。
根底には「最悪少しぐらいなら遅れてもいいかな。具体的には30分から1時間くらい」と思っていて、間に合うことより自分の身支度を気にする。
そういう人が朝早く起きて、ジムに行きランニングしてから始業より1時間早く出社するようになるには、「ギリギリのボーダーライン」を上げなければならない。
ヤバいと思える期限を前倒しにできれば、自ずとそれに従って行動出来る。
もしくは、起きているうちに全てやってしまうこと。
朝は起きてもうまく使えないのだからと割り切って、起きているうちにやらなければいけないことをやってしまう。
明日に持ち越さず、やれることは今日やってしまう。吉田さんの名言「Trello があるから眠れない」もそっちの考え方だと思う。
ノルマを達成出来ないなら寝てはいけない。一見危険そうだが、自分の甘さレベルからして本当にヤバそうなら寝てしまうので問題なし。
とにかくやってみよう。
言い訳しない、心の声を聞いて静かに動く
何か趣味が欲しい、という声を聞く。
「じゃあ○○なんてどう?」「でも△△だし…」「じゃあ××は?」「うーん、□□だからなあ…」
と、なかなか前に進まない。
単に私が出している趣味のアイデアがマッチしていないのでは、というのは置いておいて、この手の話は何も始まらないまま終わってしまうことが多い。
何かと理由をつけてやりたいことをやらないまま大人になって何十年も経つと、やりたいという単純な欲求だけでは動けず、もっともな理由が無いと動けなくなっているようだ。
「Aさんは若いころから写真が好きで、今でも一眼レフを持ち歩いている」「子供のころにピアノを習っていたから、別の音楽的なことにとっつきやすい」確かにそう、ごもっともなんだけど、その人たちだって何かを始めて諦めるなんて過程を何回も経ているのを見たくない。
ただ、自分が何も続けられなかった、情熱的な何か湧き上がるものがなかったからと負い目を感じながら、ただ消費するだけの生活をおくっている。
贅沢しなければ十分暮らしていけるお金はあるし、老い先短いけれど時間はたっぷりある。だけど体力が続かない…
そう、そうなんだけど、何でも良いから始めないと、それが本当に自分に合っているかどうかも分からないんだよ。ただパッケージを消費し、数カ月後にはほとんど憶えていないような中身のない旅行を繰り返しても虚しいだけ。
趣味を作れば幸せに暮らせると思っているようだけど、今のままじゃ新しい趣味を見つけたところで何も変わらないだろう。どうせその趣味だってただパッケージされたものを消費するだけの趣味だろうし、その情熱は数ヶ月で燃え尽きる。
まずは言い訳をやめて自分と向き合い、心の底から聞こえてくる声に耳を傾けよう。趣味を見つけるより、日々の暮らしが明るくなるよ。きっと。