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身体が資本論

身体とお金の話がメイン。元気があれば何でも出来るを地で行きます。

自分の選択に納得出来ているか

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朝起きる時間や食べるものなど、ある程度自分の都合だけで選べることに対して、100%納得しているだろうか。

漠然としたモヤモヤの正体のひとつが、「自分の選択に納得ができているかどうか」という尺度で考えると説明できる気がする。

 生みの親や生年月日は変えられないけど、体重や体脂肪率、肌の調子、衣食住、学歴、年収は変えられる。

このモヤモヤは自分が「変えられる」と思っている、あるいは限りなく100%近く自分の裁量で決められるものに対して発生していて、「あと少しだけお腹が引っ込んだらな」「もう少しだけお金があればな」「もっと駅から近いところに住みたいな」と思いつつ、「ハーゲンダッツ美味しいから食べちゃおう」「今日は飲みたい気分だから2軒目も行っちゃおう」「家賃が安いからこのアパートにしよう」と、本心と違う選択をしてしまうたびにモヤモヤが溜まっていく。

本心と行動が一致しているときに、「納得感」が得られるのであれば、上の3つの行動では納得感が得られない。

 

選択ひとつひとつに、直感で浮かぶもの(本心)と、後から生まれる妥協のもの(弱さ)がある。

前日の夜に「明日は6時に起きて時間を有効活用しよう」と意気込んで寝るが、6時にアラームが鳴ったとき、「もう少しだけ寝よう。寝たほうがパフォーマンスが上がる」と考えなおし、結局8時過ぎまで寝てしまうことが多い。

この場合厄介なのは、その場ではどちらも「本心」であり、「納得」しているのだ。

 

23時の時点では、「朝早く起きよう」と思うことが自分の中で正しいし、納得している。そして、6時にアラームが鳴った時も「もう少し寝よう」と思って寝ることが「正しい」と思って納得している。

でも、30分で支度をし、9時に飛び乗った電車の中で思い返すと、「なんで6時に起きて一日の予定を確認し、軽く運動をしたあとシャワーを浴び、スクランブルエッグとベーコンを焼き、6枚切りのトーストを2枚の朝ごはんを食べ、食後にコーヒーを飲みながら前日のメールチェック、シャツにアイロンをかけ、余裕を持って出社しなかったのだろうか」と後悔する。しかもかれこれ2年間、学生の頃から数えたら20年ものあいだ、この後悔のループを毎日繰り返している。

 

後悔が生まれるということは、6時の選択と納得感は失敗であり嘘だったのだろうか?その時点で自己欺瞞だったのか?

もう一度考えると、23時の時点での「早起きをしよう」という意思の芽生えは、「早起きしたほうがなんとなく良い気がする」と漠然と世間一般的に「良い」とされる考えかたに基づいて、考えている。つまり、この時点では「早起きをする」という行動に対して納得がいっていないのである。

なので、6時に「眠いからもう少し寝よう」という本能(=本心)から出てくる意思に抗えず、出社時間に間に合うギリギリの時間まで寝てしまうのだ。

 

ここで面白いのは、遅刻は基本的にないということ。10時の出社に間に合うギリギリには起きている、というか起きなければならないのを理解しているから、結果的に行動として起きている。

出社時間に間に合えばいいという考えに「納得」し、それに則って行動(=起きる)しているのである。

 

では、そんなわたしが「納得感」を感じ、行動を変えるようになるにはどうしたら良いか。

「朝は早起きが良い」「出来るだけ多く寝たほうがいい」という固定概念を一旦取り下げ、ゼロベースで行動を考え、本能よりも強い本心からの「納得」を先に得た上で動けるようになればいい。

 

そのためには、

  • そもそも早く起きなければならないのか 
  • 起きてからなにをすべきか
  • すべきことをするために、何時に起きるのがいいか

を一から考えなおす必要がある。ここでひとつひとつ行動を精査し、やること対して「納得」出来れば、起きるべき時間に起きられる。

逆に言えば、今起きている時間(8時30分)は、納得出来る最低限の行動(寝癖をなくす、着替える)が出来るだけの時間をきちんと確保している素晴らしく最適化された時間なのだ。

このように最適化出来る能力を持ちながら、納得感を得られずモヤモヤしているのであれば、もう一度必要だなという行いを選びなおすのが良い。

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