身体が資本論

身体とお金の話がメイン。元気があれば何でも出来るを地で行きます。

後ろめたさ

元旦からこんなタイトルのブログを書くとは思わなかったけど、モヤモヤしたまま新年を過ごすのは嫌なので、このまま続ける。

 

正しいことをしたときには、後ろめたさが残らないという前提だと、今の気持ちには後ろめたさを感じていたので、正しいことをしたとは思っていないということになる。

 

ただ、いま「正しいことした〜」と言葉にしたことで、胸がスッとした。

 

大事なのは、自分の行為を認めること。その行いが正しいかどうかは周りが決めることだし、今のところ上手く回っている。

 

それ行為が明るみに出て、それをだめなことだと認識されて初めて問題になる。

 

認識されて、判断されるという2段階があるし、その状況を作り出した本人が何となく分かるし、その人が沈黙を守っているということは、認識した上でその行為(=沈黙)していると捉えて良いだろう。

 

よくもわるくも、それをしてしまったことは消えないし、それを判断するのは周りだ。自分ではない。

 

そうするしかなかった。それができる環境が整っていた。物理的に出来ないようになっていなかったのも問題だ。

 

そんなことを思う。