身体が資本論

身体とお金の話がメイン。元気があれば何でも出来るを地で行きます。

1時間後を見据えて動く

あるいは一歩先と言ってもいいかもしれない。

朝、アラームが鳴ったら止める。そこまでは良い。

問題はそこからで、アラームを止めた現時点で一番やりたいことは「再び寝る」こと。一方、遅くとも1時間後には出掛けなければならない。

 

このとき、1時間で余裕を持って支度し、早めに電車に乗って目的地まで着くことを想定して家を出る1時間前にアラームを設定しているにも関わらず、30分で支度すれば良いからあともう少し寝ようと最初の目的と行動の意味を歪めてしまう。

ここで、1時間後に自分がどうなっているか、どうなっていたいかを想像出来れば、二度寝して慌てて支度をし、髭剃りやヘアセットを妥協したまま1日を過ごすことがなくなるのだ。

 

少しだけ未来を見据え、そのイメージに持っていけるように動ければ、日々の充実感が少しだけ向上する。

最低限の生存戦略

成長出来る場所に身を置きたいと願う人に門戸は開かれているのだとすると、その場所を見つけるのは簡単なのかもしれない。

 

しかし、実際に満足のいく給与をもらいつつ成長出来る案件を任されつつやっていくのは難しい。

 

たいていは成長する(かもしれない)が給与は低かったり、逆に高かったら高かったで面白い案件は回ってこない場合が多い。

 

なぜかというと、一般的に給与が高くて面白い(であろう)仕事は、分かりやすい今までの成績で入る入らないが決まってしまうところにあることが多いからだ。

 

こうなると、私のような人間に(見かけから)高待遇で面白い案件が回ってくる仕事にジョイン出来る可能性はおそろしく低い。

 

さて、そんななかで賃金が高くて面白い案件が回ってくる仕事を手に入れようとすると、2つの方向性が見えてくる。

 

見かけはいまいちだけど、やってみると具合の良い仕事を見つけるか、見かけから魅力的な仕事を自ら作り出すか、だ。

 

そして、私なら前者で食い扶持を確保しつつ後者を常に模索し続けるスタイルを選んだ。

 

つまり、小さくチャレンジしながら好機を伺いつつ、最低限ご飯が食べられるお金を稼ぐのだ。

 

2つ以上の収入源があれば、どちらかが潰れても片方の収入で生き残れる。こ

 

 

自分が書きたい文章の種類を把握し、場を作る

何か書きたいんだけど、書きたいものが明確じゃないとき、書きたいことが分からないのではなくて、「どこで公開するか」についてもやもやしていることが多い。

 

  • 美味しいカレーの作りかた
  • Macbook Pro買った
  • 欲しい車について
  • 痩せたいけど何もしてない
  • フラットベンチ買った
  • Raspberry Pi + Volumioで音楽再生
  • HARD-OFF BEATSが面白い
  • くせになる味、富士そば
  • 松屋に毎日行ってる

 

などなど、ちょっと考えただけでも書きたい文章はたくさん浮かんでくる。

 

ただ、ひとつひとつのネタの粒度は全く違うし方向性も振れ幅が大きいので、ひとつの場所に公開するのはなんか違和感がある。

 

そうなると、ある程度クオリティを担保しつつ評判を落とさないネタを然るべき場所に投下することを考え始め、結果として何も書き始められないままにやる気は無くなってしまう。

 

そこで、まずは書きたいネタの時点でいくつかに分け、それぞれにふさわしい場所を用意してやることにした。

 

カテゴリといっても、公開するかどうか、匿名かどうか、ネタにかける思いの度合いという3つで分けただけだ。

 

この基準で分けると、公開しないもの、匿名と実名で本気と遊びのもの2つずつの計5つに分けられる。

公開しないのならEvernoteGoogle Docs、Day Oneなどのアプリへ、公開するならそれぞれの場所を作って出せば良い。

 

本気と遊びのグラデーションが鮮やかになっていったらまたキツイことになるんだけど、いまのところこの分けかたがちょうど良い。

 

それぞれに場所を作ってあげれば、あとは書き始めるだけだ。

未来を見るのは人間だけ

「いまを生きる」って格好いいけど、この言葉を真に受けて刹那的な快楽を是とする行動基準を正当化してしまっていた。

 

本当は、「想定した未来を目指し、その未来を実現するために」いまを生きるのだ。

 

想定した未来を見られるのが人間の強みで、いまこの時に取る行動がどんな未来を作るだろうかを想像すれば、一時的に快楽が得られなかったり、場合によっては損をすることがあったとしても、メンタルを保ちつつ期待した未来にむけた行動を決断出来る。

 

強烈な「理想の未来」がなければ、中長期の計画/予定は達成困難だ。

 

いままではそれなりの学校を出てそれなりの会社に入り、それなりに勤め上げれば平均的な幸せを享受できた。

でも、そもそも自分はそれなりの学校、会社に入っていない上に、なにも未来のことを考えないで生きてきた。

 

中長期的な予定を立て、達成のために律儀にその予定を守って行動するという生きかたをせず、その時にそれなりに楽しいであろう行動を漠然と取ってきただけだ。

 

まずはその事実を認め、実現したい未来をハッキリと描いたうえで、そのときどきに取るべき行動、決断をしていこう。

 

未来を見て行動できるのは今のところ人間だけ。描いた未来を現実にするために、常に決断する。

自分を裏切らないためのマインドセット

立てた予定が守れないというエントリを書いた。

自分を信じられていないのだ。

 

頭では分かっていても、瞬間的な快楽のために約束を破ってしまう。

瞬間的な快楽とは、深夜の飲食や自慰行為などの「プラス」型と、顔を洗わない、服を着替えないで寝るなどの「マイナス」型がある。

 

共通しているのは、頭では分かっている「やってはいけないこと」「やるべきこと」を制御出来ていないこと。

 

総て、それをやってしまう/やらないことでどうなってしまうかは分かっているし、辛さは体験している。

夜中に食べたり薄着で寝ると睡眠の質が悪くなるし、顔を洗わないまま寝ると肌が荒れるのも分かっているつもりだ。

 

だけど、「睡眠の質が良くなったところで大した変化はない」と思っている自分もいる。

 

自分はそれをしても/しなくてもまだ大丈夫だ、という奢りがあるのかもしれない。

出てきたお腹、肌荒れた顔、回らない頭には目を背けて。

 

**

 

自分を裏切らず、自分と立てた約束を守り続けるためには、小さな信用を積み重ねていくしかない。

 

例えば今なら、

  • 目薬をさす
  • ズボンを履く
  • 顔を洗う
  • 皿を洗う
  • サプリメントを飲む
  • BGMを消す

べきだと考えている。

 

しかし、これらのことをしなくてもすでに布団に入っているので最終的な行動である「寝る」ことは出来るし、簡単だ。容易に気持ちよさを得られる。

 

しかし、心の奥底に「自分を裏切った」というモヤモヤがうっすらと溜まってくのだ。

 

いちど浮かんだ、漠然とした「やらなければいけない」「やってはいけない」という気持ちを裏切り続けると、自分のなかの正しいと思う行動を取れなくなっていく。

 

その場ではさしたる影響が無いし、気持ち良さを得られるから。

しかし、この裏切りが5年10年という単位でジワジワと効いてくる。現に、ちょうど10年前に裏切りったしっぺ返しをいま実感している。

 

いまから裏切るのをやめたとしても、あと5年は辛い時期が続くだろう。

 

でも、今気づけたのだからまだ助かった。たった今から、自分のなかに浮かんだことを裏切らず、素直に行動に移そう。

 

予定を立てて守ったことがない

コツコツと積み上げていくのが苦手だという人は多い。かくいう私もそのひとりだ。

好きなことは続けられるんだけど、もっと正確に言うと「好きなことで、かつ気分が乗っているときならやれる」かなーと思う。

つまり、その時の気分によって左右されるので、好きなことが好きなだけやれる環境にあったとしても、その環境で気分が乗らないのであれば、何も出来ない。

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自分の選択に納得出来ているか

朝起きる時間や食べるものなど、ある程度自分の都合だけで選べることに対して、100%納得しているだろうか。

漠然としたモヤモヤの正体のひとつが、「自分の選択に納得ができているかどうか」という尺度で考えると説明できる気がする。

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