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身体が資本論

身体とお金の話がメイン。元気があれば何でも出来るを地で行きます。

未来を見るのは人間だけ

「いまを生きる」って格好いいけど、この言葉を真に受けて刹那的な快楽を是とする行動基準を正当化してしまっていた。

 

本当は、「想定した未来を目指し、その未来を実現するために」いまを生きるのだ。

 

想定した未来を見られるのが人間の強みで、いまこの時に取る行動がどんな未来を作るだろうかを想像すれば、一時的に快楽が得られなかったり、場合によっては損をすることがあったとしても、メンタルを保ちつつ期待した未来にむけた行動を決断出来る。

 

強烈な「理想の未来」がなければ、中長期の計画/予定は達成困難だ。

 

いままではそれなりの学校を出てそれなりの会社に入り、それなりに勤め上げれば平均的な幸せを享受できた。

でも、そもそも自分はそれなりの学校、会社に入っていない上に、なにも未来のことを考えないで生きてきた。

 

中長期的な予定を立て、達成のために律儀にその予定を守って行動するという生きかたをせず、その時にそれなりに楽しいであろう行動を漠然と取ってきただけだ。

 

まずはその事実を認め、実現したい未来をハッキリと描いたうえで、そのときどきに取るべき行動、決断をしていこう。

 

未来を見て行動できるのは今のところ人間だけ。描いた未来を現実にするために、常に決断する。

自分を裏切らないためのマインドセット

立てた予定が守れないというエントリを書いた。

自分を信じられていないのだ。

 

頭では分かっていても、瞬間的な快楽のために約束を破ってしまう。

瞬間的な快楽とは、深夜の飲食や自慰行為などの「プラス」型と、顔を洗わない、服を着替えないで寝るなどの「マイナス」型がある。

 

共通しているのは、頭では分かっている「やってはいけないこと」「やるべきこと」を制御出来ていないこと。

 

総て、それをやってしまう/やらないことでどうなってしまうかは分かっているし、辛さは体験している。

夜中に食べたり薄着で寝ると睡眠の質が悪くなるし、顔を洗わないまま寝ると肌が荒れるのも分かっているつもりだ。

 

だけど、「睡眠の質が良くなったところで大した変化はない」と思っている自分もいる。

 

自分はそれをしても/しなくてもまだ大丈夫だ、という奢りがあるのかもしれない。

出てきたお腹、肌荒れた顔、回らない頭には目を背けて。

 

**

 

自分を裏切らず、自分と立てた約束を守り続けるためには、小さな信用を積み重ねていくしかない。

 

例えば今なら、

  • 目薬をさす
  • ズボンを履く
  • 顔を洗う
  • 皿を洗う
  • サプリメントを飲む
  • BGMを消す

べきだと考えている。

 

しかし、これらのことをしなくてもすでに布団に入っているので最終的な行動である「寝る」ことは出来るし、簡単だ。容易に気持ちよさを得られる。

 

しかし、心の奥底に「自分を裏切った」というモヤモヤがうっすらと溜まってくのだ。

 

いちど浮かんだ、漠然とした「やらなければいけない」「やってはいけない」という気持ちを裏切り続けると、自分のなかの正しいと思う行動を取れなくなっていく。

 

その場ではさしたる影響が無いし、気持ち良さを得られるから。

しかし、この裏切りが5年10年という単位でジワジワと効いてくる。現に、ちょうど10年前に裏切りったしっぺ返しをいま実感している。

 

いまから裏切るのをやめたとしても、あと5年は辛い時期が続くだろう。

 

でも、今気づけたのだからまだ助かった。たった今から、自分のなかに浮かんだことを裏切らず、素直に行動に移そう。

 

予定を立てて守ったことがない

コツコツと積み上げていくのが苦手だという人は多い。かくいう私もそのひとりだ。

好きなことは続けられるんだけど、もっと正確に言うと「好きなことで、かつ気分が乗っているときならやれる」かなーと思う。

つまり、その時の気分によって左右されるので、好きなことが好きなだけやれる環境にあったとしても、その環境で気分が乗らないのであれば、何も出来ない。

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自分の選択に納得出来ているか

朝起きる時間や食べるものなど、ある程度自分の都合だけで選べることに対して、100%納得しているだろうか。

漠然としたモヤモヤの正体のひとつが、「自分の選択に納得ができているかどうか」という尺度で考えると説明できる気がする。

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すべきだなという行い

「すべき」行動と、「したい」行動があって、それぞれは常にイコールではないことが分かった。

 

洗濯物が溜まってきたので、洗濯をすべきだけど、眠いので寝たい。仕事をすべきだけど、寝たい。

 

取れる選択肢が少なくとも2つある場合、選んだあとによりストレスが残らない方を選ぶことが良いのかもしれない。

 

ただ、そこに「難しさ」あるいは「遂行難易度」、「それをしたことによって得られるかもしれないもの」が加わるから、決断が下しにくくなる。

 

肯定か納得することで、行動が行動として認められる

一連の動作を「行動」と捉えられる単位は、動作によって得られた変化で見られる。

 

なので、変化に対して肯定か納得が出来れば、その行動は自分のなかで気持ちよく腹落ちする。

 

 

 

後ろめたさ

元旦からこんなタイトルのブログを書くとは思わなかったけど、モヤモヤしたまま新年を過ごすのは嫌なので、このまま続ける。

 

正しいことをしたときには、後ろめたさが残らないという前提だと、今の気持ちには後ろめたさを感じていたので、正しいことをしたとは思っていないということになる。

 

ただ、いま「正しいことした〜」と言葉にしたことで、胸がスッとした。

 

大事なのは、自分の行為を認めること。その行いが正しいかどうかは周りが決めることだし、今のところ上手く回っている。

 

それ行為が明るみに出て、それをだめなことだと認識されて初めて問題になる。

 

認識されて、判断されるという2段階があるし、その状況を作り出した本人が何となく分かるし、その人が沈黙を守っているということは、認識した上でその行為(=沈黙)していると捉えて良いだろう。

 

よくもわるくも、それをしてしまったことは消えないし、それを判断するのは周りだ。自分ではない。

 

そうするしかなかった。それができる環境が整っていた。物理的に出来ないようになっていなかったのも問題だ。

 

そんなことを思う。

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寂しさの正体

最近寂しい気持ちに襲われる。というのも、ひとりで過ごす時間が増え、誰かに従っていればどうにかなるということが少なくなったからだ。

もうひとつは、禁欲と禁煙を始めたこと。これまでも寂しい気持ちは持っていたのだろうが、自分を慰めたり煙草を吸って紛らわせなくなった。

この2つは何もすることがないときにやりたくなることの典型で、これに敢えて足すのであれば食べること。

食べるのも際限なく続けられるので、痩せ型なのにお腹の脂肪だけついている有り様だ。

 

この3つの逃避でも、いままでの経験上寂しさを完全に消し去ることは出来ない。紛らわせてくれるが、実体はそこに留まったままなので長くても1時間後には再び沸いてくる。

 

そんな訳で、寂しさから無駄に会社に残ったり、友人と飲んだり遊んだりするんだけど、皆と離れて家に帰ってきたときの寂しさといったら、遊ぶ前よりも格段に大きくなっている。

 

友人と遊ぶのは有意義な時間こそすれ、過度に依存し過ぎるとお金も体力も尽き、何も残らないなんてことになりかねない。

それはそれで本望であるのかもしれないけど、もっとたくさんの経験がしたい。それを共有できる友が欲しい。

一緒に何かするのもいいけど、各自が自分の知識や経験を持ち寄ったうえで何かするのは格段に楽しい。

だからバックグラウンドが違う人によって惹かれるし、仲良くなりたいと思う。

自分が好きなこと、やってみたいことはたくさんあるのに、寂しさを紛らわせることだけをしない。

全くゼロにすることは難しいので、持ち寄るものを拾うのに疲れたら大いに甘えよう。そして同じだけ甘えてもらおう。

 

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